趣味の宝箱(インターネット活用研究 番外編)

九州半周 その2

高速のスタンドでぼられてから、広島へ到着まで

一応目指すは九州。途中はできるだけサクッといきたい。しかし、できるだけ金を節約することも重要だ。我々はちょうど夜も明けかかってきていたので、妥協策として、京都で高速を降りた。朝の6時ぐらいであった。国道に降りてからは極端にペースが落ちた。我々は昼過ぎに、ようやく日本三大名園のひとつ、後楽園についた。真夏の太陽に熱せられた玉砂利の照り返しはきつく、昨夜からのぶっとうしのドライブの疲れも加えて、この旅行初の寄港地の割に三人の足は重かった。その中にあって、OKAがいささか元気で、カメラと三脚をかついでまわり、やたらと写真を撮りまくった。OKAは写真に夢中になっていた頃で、全体の構図、背景、一人一人のポーズにあれこれ注文をつけた。僕はそれもまたよしと割り切っていたので、言われるがままにポーズを決めたりしていたが、KINOは憮然としていた。夕日の前にたたずんでいたい男だったから、ペースが合わない。

「僕の写真は撮らないでいいから。」と言って、僕やOKAとちょっと距離をおいて歩き始めた。この旅行は、これ以後だいたいこのパターンで展開することとなった。KINOはその場を自分の目でゆっくりと堪能したいと言い、OKAは写真をとりたがった。


 ぶっとうしのドライブで疲れ気味

 はりきるOKA

 憮然とするKINO









 後楽園を後にして、我々は一路九州に向かった。途中あまり寄り道せず、倉敷に立ち寄って昼飯を食たのと、あとははっきり覚えていないが吉備津神社の付近に寄った他には、あまり寄り道をしなかったように思う。

 倉敷

 吉備津神社近辺?


しかし、国道は思いの外渋滞でなかなか距離がかせげない。岡山県を抜けるのにてまどり、広島県に入ってはますます車が込みだし、呉のあたりで夕暮れになった。車はのろのろと進んで、ついに広島に到着した時には8時となっていた。広島駅はキオスクも既にシャッターを閉め閑散としている。新幹線はまだ走っている時間だと思うが、人もほとんど見あたらない。我々は夕食にまだありついていなかったので、早速、駅の周辺で定食屋か居酒屋を探しにかかったが、見つからない。普通これぐらい大きな駅だと、駅前で飯にありつけないことはないはずだが、一軒もない。たいてい駅の構内に立ち食いそばか、カレー屋があるものだが、それもない。(記憶が定かでないが、閉店していたのかもしれない) 実は、少し歩けば広島の繁華街はあるのだが、我々は知る由もなく、「田舎は使えねーな。」とお決まりのせりふで、夕食をあきらめた。(と記憶している。なにか菓子を買ってたべたような気もする。) いよいよ第一泊目の宿を探さねばならない。ほとんど車もいなくなった、広島駅前をふらふらと走り、程なく平和記念公園に寝るのに手頃な芝生を見つけた。こうして我々の貧乏旅行の初日は広島の平和記念公園で幕を閉じた。

  公園にすがすがしい朝がやって来た。夏ではあるが、明け方は地面が冷えていて少し肌寒く感じるぐらいだ。僕は朝起きるとすぐに歯磨きする習慣で、歯磨きしないとどうも一日がうまくスタートしない。午前6時ぐらいに目覚めただろうか。OKAもKINOもまだ寝ている。ともかくまず歯を磨こう、これだけ整備された公園だから水道もきちんと完備されているだろう、まず僕のやることは水道を見つけること。ということで、まず起き上がってゆっくりとあたりを見回してみた。

さて、行き当たりばったりのふーてん旅行の醍醐味と言えば、意外なものの発見ということになろうが、その時僕はあっと驚くべきものを見つけた。見つけたというよりは目に飛び込んできたという方が正しい。"水道"よりも先に目に飛び込んできたのは、あの原爆ドームであった。歴史の教科書ではおなじみのあれである。目の前にあったのに昨夜は暗かったので、気がつかなかったのだ。朝起きてみると、ドームの屋根が壊れたままのその建物は、40年前の姿のまま、その痛ましい姿のまま僕のまえにあらわれた。



僕にとっては、それは忽然と現れたという感じだった。言葉でその感覚をうまく表現できないが、僕に何かを訴えるため、それは40年の年をタイムスリップしてやって来たという感じだった。あまりに予期せぬ出現だっため、僕は一瞬あっと息をのみ、そして強烈なメッセージをそこから受け取ることを強制された。原爆を受けた民族として、僕が連帯して負うべきものがある、僕の生まれる前のことだからといって無関心でいることは許されないと思った。いやそう思わせる異様な力がドームにあった。それこそ、このドームを壊れたまま保存してきた第一の目的、意図ではあるのだろうが、原爆ドームを見ようという意識してやってきたわけではなかったので、それが目に入った瞬間、僕はそこに立ち尽くすしかなかった。写真では見慣れていた原爆ドームだが、現物は強烈であった。

  やがてOKAとKINOも起きてきたが、そのうちに公園に人々が集まりだした。ずいぶん人が多いなあ、今日は何かなあと思っているうちに、その人たちが芝生の上に手をつないで寝転び始めた。その先には大きな台が用意され、線香がたかれだした。えっ、何の集会だこれは?、新たな新興宗教かと思って少し考えて、我々はその日がまさに広島に原爆が投下された日であることに気づいた。間延びした学生生活でずいぶんと頭が腐ってしまったのか、我々はすっかりその日を忘れていた。これがあのダイイン(Die in)とわかるまでしばらくかかった。レジャーランドと化した大学で、楽しければそれでいいという風潮に飲み込まれ、こんなにもぼけちまったのか俺は、と少し自分を反省する気になったりもした(少しだけだけど)。寝ころぶ人々を見ながら、OKAが「僕たちもせめて線香だけでもあげていきましょう。」と言った。OKAのその気持ちが、僕にはまあなんとなくわかったが、そして特に反対する理由もなかったが、KINOは、はっきりとした思想、見識を持たずにそうするのは軽率である、というような趣旨のことを言った。靖国神社への政府高官の参詣問題にも言及し、細かな論旨を忘れてしまったが、「OKAとKASAYANが行くのは構わないが、僕はそうすべきというはっきりした態度を表明できない。」とKINOは言った。このダイイン集会が絶対的に中立・公正な立場から開かれているものではないことは明らかであったので(参加者の一部の人々の問題だと思うが)。

僕はKINOの拘りも、まあそう思うのもむりないなとそれなりに理解した。それで結局、OKAは線香をあげに行き、KINOは行かなかった。僕は、いち日本人としてという連帯意識から言えば行く、厳密に自分の思想、立場に忠実するなら行かないというところであったが(そんな大げさに考えるこたあないんだがね)、どうしたか今となってははっきりと思い出せない。

 ともかく、今日中には九州に入ろうということで、我々は早々に広島をたった。


 

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