趣味の宝箱(インターネット活用研究 番外編)

自称ソムリエ養成講座 wineで学ぶ地理と歴史

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歴史というと、中学、高校でやるのは政治史中心。歴史というと=政治史
という感じですが、おじさんからひとこと言わせてもらえれば、経済史が結構
重要です。政治史の大きな流れをつくるのは結局経済です。
経済の中では、税に着目してみて下さい。どうやって税金を絞り取るのか。
どの文明、文化圏でも 人頭税 −> 土地税 という流れになりますが、それは
どうしてか。考えてみて下さい。ここらあたりに歴史をすっきり考えるヒントがあります。
徴税方法に大きく関わるのは、中世までは農業史ですね。農業なんて地味ですけど、
どう税をとるかは、農業の発展と大きな関係があります。
                  農業を制するもの歴史を制す、とまではいいませんが、農業史を馬鹿にすると、歴史
                 を根底から理解することは不可能です。というわけで、ワインにからんで、地理、歴史
                 を勉強してみましょう。
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1 ワインの歴史

ワイン発祥の地はどこかわかりませんが、文献としては「ギルガメッシュ叙事詩」にワインのことが見られ
ます。これは紀元前5000年くらいです。ハンムラビ法典にワインの取引についての記述があるそうです。
旧約聖書にもありますね。「ノアは農夫となりぶどう畑を作り始めたが、彼はワインを飲んで酔い……」
という記述が。

かなり、その歴史は古いとみていいでしょう。ワイン用ブドウの原産地は西アジア(コーカサス地方)といわ
れていますので、まずその辺りでワインが発祥し、紀元前1000年ころフェニキア、クレタで盛んとなり、ついで
ギリシャでワイン作りが盛んになったたようです。そこら辺がなぜならブドウの栽培適地だったからです。
アレキサンダー大王の遠征で、ワインも各地に伝えられたようです。
ついでローマでもワインが盛んになりました。イタリアはワインの歴史としては最古参の国です。
ローマ帝国の拡大により、必然的にワインもフランス、ドイツに伝わりました。ガリア(現在のフランス)における
ワイン生産はどんどん増えていき、古代ローマ帝国のお膝元のイタリアにおけるワイン生産を圧迫し,西暦91年
には古代ローマ帝国皇帝ドミティアヌスは、ガリアでのワイン用ブドウの栽培を半分に減らせ 、という命令
を出すにいたるくらい、ワインの生産がガリア(フランス)でも盛んになりました。その後、フランス各地の教会
ではミサ用のワインを作り続けて、ブドウ栽培やワイン生産の技術を伝え、中世には修道士たちがブドウ畑を
開墾し、ワイン生産技術を向上させていきました。

2 ワインの地理
ぶどうの産地は温帯地方の中央部にあり、年間の平均気温が、ほぼ10度から20度の間に分布してます。
この中でワイン用のぶどうは、冬には多少の降雨はあるが夏は乾燥した、いわゆる地中海性気候に適し
ています。(こういった地域ではいわゆる地中海式農業が発展しました)
従ってその主な産地は地中海沿岸や、他の大陸でもカリフォルニアやチリの中部など、同じタイプの気候帯
にあります。(最近はカリフルニアワインや、チリワインも有名ですね)

ところが不思議なことにボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュ、ライン・モーゼルをはじめとした銘醸地は、
すべて地中海から離れたアルプスの北にあります。ぶどう栽培の観点からいうと北限に近く、気温は低く
気候も不安定で、これらの地域でのぶどう作りは収穫が終わるまで全く気を抜くひまもないものです。
あまりぶどう栽培にはむいておらず苦労の多い分、非常に細やかな手をかけ品質の維持をはかるので、
繊細なテイストのワインが生産されます。(イタリアワインもいいワインが多いですが、熟しすぎて大味に
なってしまうこともありますね。)

3 ヨーロッパの農業
さて、地中海式農業という言葉がでてきましたが、せっかくなのでヨーロッパの農業の歴史をざっとふりか
えってみましょう。ヨーロッパの農業という観点からは、中世の荘園制度のあたりからふりかえってみること
にしましょう。

ローマ帝国が衰退すると地方勢力はそれぞれ独立しはじめ、8,9世紀に地中海にイスラム勢力が進出すると、
西ヨーロッパの商業、交通はだんだん衰えて、荘園の中で自給自足する農業社会になっていきます。そして
農民は移転の自由のない
農奴になっていきます。税は主に賦役(労働力を提供。例えば週に2日、領主の
直営農場で耕作するなど)で、一部
貢納(生産物を納める)でした。この中世で進歩したのがしたのが三圃式
農業
です。三圃式農業の成立で、農業生産は安定し余剰生産物が生まれるようになりました。余剰生産物が
生まれると、交換のための
定期市が生まれ、これが発展して都市になりました。都市がうまれると、それまで
荘園内にいた手工業者もどんどん都市に移り住み、都市はますます発展し自治権を獲得するようになります。
これらが11,12世紀にみられた商業の復活=
商業ルネッサンスですね。荘園も自給自足の現物経済(物々
交換)から次第に貨幣を使う
貨幣経済へ移行していきます。貨幣経済の進展で領主も貨幣が必要になり、
農民への税も賦役をやめ、直営地を農民に貸し出し、その地代を貨幣で納めさせるようになりました。

ざっと流れを書いてみましたが、技術の向上(三圃式農業) −>生産力向上 −>商業の復活 −>
貨幣経済の浸透 −>税の変化 という一連の流れが見えましたね。
この技術の変化−>経済の変化の流れは、政治にも大きく影響を与えていきます。では、その後の動きも
少しだけみてみましょう。

貨幣経済の浸透により、農民も貨幣を蓄えるようになり次第に裕福になっていきます。また、1348年ユーロッパ
にペストの流行で農民の人口が大幅に減ると、領主は労働力確保のため農民の待遇改善をはかり、農民の
地位が向上します。都市の発展で都市の市民の権利が向上し、農村でも農民の地位が向上し、市民階級が
じょじょに形成されていきます。市民階級の形成により、その後の歴史はどういう方向で動いていくのでしょうか。
市民階級は束縛され、自由がなく、地方分権的な荘園制を否定し、中央集権による、制度の統一、自由、
国内市場の統一を求めます。この機運に乗じて国王(それまでは一有力諸侯にすぎなかった)が諸侯をおさえ
国王の権力を増強し中央集権を進めていきます。騎士、諸侯は戦術の変化(火砲の使用による騎士の役割
低下)もあってますます地位を低下させていきます。ここら辺から経済の変化−>政治への影響 の図式が
そろそろ見えてきますね。例えば、地位を向上させた農民と諸侯の間の争いとしては
、ワット・タイラーの一揆
などがありますね。また、イギリスの
マグナ・カルタは、中央集権化をはかる国王と、それに抵抗する諸侯の
間の争いの結果成立したものです。
また都市の発展は文化面では、いわゆる
ルネッサンスを生み出します。

こんな風にみていくと、歴史の大きな変化の根底に実は”農業の進化”があったのが見えてきますね。ワイン
から少し話が離れてしまいましたので、農業に話を戻しましょう。
中世で発展した三圃式農業は、西ヨーロッパではその後どうなっていくのでしょうか。その後の農業の進化を
みてみましょう。その後、ヨーロッパに新大陸から主食の小麦などが輸入されるようになると、三圃式農業は
混合農業へと変化し、これが西ヨーロッパの農業の主要形態になります。そして産業革命で農村から離れて
大都市が成立すると、混合農業から分化して酪農が行われるようになります。
さて、ざっとヨーロッパの農業の進化を見てみましたが、上記の進化は主にアルプス以北の雨の多い温暖な
ヨーロッパ中部地域中心の話で、地中海沿岸に限ると、ちょっと違った展開のしかたをします。地中海沿岸地方
は夏は乾燥して穀物栽培に不向きで、土壌もやせているため本格的な三圃式農業 −>混合農業という
展開は見られず、粗放的な自給的混合農業が長らく続き、産業革命以降、いわゆ近代の地中海式農業が発展
していきます。

と、まあこんな具合ですが、三圃式農業、混合農業、地中海式農業につて簡単に説明して、今回は終わりに
したいと思います。

三圃式農業
同じ土地で同じ作物を作り続けると、その作物に特有の栄養分が不足してきたり、特定の成分が土壌に
蓄積して、地力の低下や連作障害が発生します。現在は化学肥料の投入で同じ作物の連作をするように
なっていますが、中世には化学肥料はありませんから、耕地を3つにわけ、冬作物(小麦)、夏作物(大麦、
豆類)、休耕地(牧草、飼料−>家畜の飼育)として、年々これを交代していきました。これが三圃式農業
です。

混合農業
主食の小麦が新大陸から輸入されると、冬作物(小麦)は自家用にとどめ、そこで飼料作物を作り、牧畜を
盛んにした農業が発展しました。これが混合農業で、主食以外の栽培作物と牧畜の2本立ての農業です。
中世の三圃式農業の頃は家畜飼育といってもそれほど小規模なもので、一般庶民には肉は貴重なもの
でした。村の祭りや結婚式など特別な時にしか肉は食べられなかったようです。混合農業により、牧畜の
規模は大きくなり肉の消費も増えていきます。
また家畜として、乳牛を中心にしたものが酪農で、酪農は混合農業から分化して成立してきました。

地中海式農業
温帯地域で、夏は乾燥し、冬に主に雨のふる地域(地中海性気候)で発展した農業です。
中世までは、夏の乾燥期には生育できる作物がないため、夏は高温乾燥に強い羊、ヤギの放牧、冬に小麦
の生産というパターンの農業でした。(粗放的な自給的混合農業) 
小麦栽培も一年栽培した後,中耕を伴う休閑を行って地力の回復をはかる一種の乾地農法が主流であり,
西ヨーロッパにおけるように牧草を含めて,種々の夏作物の栽培を輪作のなかに取り入れた近代農法は
採ることができません。家畜は夏季の牧草不足のため,草を求めて遠距離を移動させる移牧が多く、
このため、地中海式農業は、一般に土地生産性が上がりにくい農業でした。

産業革命以降は、穀物栽培に不向きな山の斜面などで、夏の乾燥に強いオレンジ、オリーブ、ブドウの栽培
が増加しました。(ブドウは根が深いので斜面での栽培に向いています)
イタリア南部ではオリーブの栽培が盛んで、良質なデュラム小麦が生産されることから、パスタとオリーブ油
中心の食文化が発達しました。ぶどうは主に、中部、北部で栽培されています。


ワインの話からむりやり中世ヨーロッパ史まで駆け足で話を展開し、つまみてんこ盛りの内容になってしまい
ましたが、各論の詳細はどこかで機会があったらやりたいと思います。と言ってもいつのことになるかわかり
ませんので、少しでも興味がわいたら、歴史や地理の教科書(そんなんもん卒業と同時に捨てたって!ま、
そうでしょう)でもひっぱりだして、ワインにつながる歴史、地理という観点から読み直してみて下さい。
いままで無味乾燥だった教科書の記述が何か身近なものに感じられるんじゃないでしょうか。


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